願いを叶える魔女 (2)

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「名前は?」

 聞くと、目の前の少女は両目をきらきらと輝かせながら、右手に抱えていた猫?いや……熊?
とにかくよくわからない、恐らく母親が何度も修繕した(もしくは、元々母親の持ち物だったかもしれない)、つぎはぎだらけのぬいぐるみを素早く左手に持ち替えると、勢いよく右手を突き出した。

「ごさい!」
「あーそうか、五歳か偉いな。」

 ばささっ。
『こやつ、バカですぞ!』
隣でカラスが騒ぐ。うるさいぞ、黙っていろ。馬鹿はお前だ。
『クァァーッ!』ばっさばっさ!

 何やら隣が騒がしくなってきたが、無視だ。
私は少し疲れた笑顔を浮かべながら、優しく娘の頭を撫でてやった。
目を細めて気持ちよさそうにされるがままになっている。
まるで猫みたいな奴だな。

 撫でていた手を離すと、娘とぬいぐるみは部屋の中を物珍しそうに眺め、そわそわし始めたかと思うと、背丈の倍ほどもある箒を見つけて駆け寄っていった。

 ふん、つついたって動いたりしないよ。

 恐る恐る箒に手を伸ばし、触っては手を引っ込め、もう一度手を伸ばす……
そんなどこにでもいるような幼い娘を見ながら、私はそっと溜め息をつく。
こいつも、”客”なんだろうな……


 ずずーっ。

 涙目の少女が小さな両手に余るほどのカップから、薄く湯気の立ち上る甘いミルクティーをすすっていた。
その鼻が少し擦って赤くなっているのは、板張りの床にしたたかに打ちつけたからに他ならない。

 あれから、箒で飛びたくてしかたなかったのだろう。
少女はついに箒にまたがると、何度もその場で飛び跳ねていた。
箒に乗って空を飛ぶ、なんておとぎ話を信じているのだろう。
全くだれが考えたのかしらないが、魔女に妙な趣味を持たせないでほしいものだ。
その箒は全くもって箒だよ。
空を飛ぶどころか最近は細かな埃だって落とす粗悪品だ。

 少女はそんな私の思いなど知る由もなく、助走をつけてみたり、その場で目一杯腰を低くしたりと四苦八苦していたが、そのままでは床が抜けるかぬいぐるみの首がちぎれるかしてしまいそうで、いずれにしたって碌なことにならないことはわかったから、ちょっと浮かべてやろうと思ったのだが……

『ご主人も情けないですな。たかが人間一人浮かせられないとは…』ばさばさっ。

 黙れ猛禽類。
くそ、いつもは面倒くさがって私の肩に留まってばかりいるくせに、これ見よがしに部屋の中を飛び回りやがって。

 しかし、なぜだろう。こんなことは今まで一度も無かった。
体調だって悪くは無い。少し気だるいけれど、そんなのはいつものことだ。

 少女の夢を少しだけ叶えてやろうと思ったのだ。
ひょっとしたら、それが「願い」なのかもしれなかったのだし。
いつものように(ただし今回は小声だ)言葉を紡ぎ、少しだけ少女を見て、

『浮かべ』

と思う。
それだけで、彼女の体は箒ごとゆっくりと浮き上がるはずだったのだ。

 ところが、そうはならなかった。
いや、途中まではふわり、と浮いたはずだったのだ。
ところが力はすぐに霧散した。跡形もなく。
箒はただの箒だ、それを主張するかのように奇跡を突っぱねた、ように見えた。

『大空からの眺めは気持ちいいですなぁ〜』ばさっばさっ
『どうですご主人? たまには大空の散歩というのは?』ばさっばさっ
『あいや、ご主人は羽をお持ちでない! こりゃ失敬!』ばさっばさっ
『アホ〜ッアホ〜ッ』ばさばさべちっ!

 あまりに腹が立ったので、先ほど少女からとりあげたただの箒で力一杯しばいてやったら、情けない声をあげて床に落ちていった。

『コケ〜ッ! 目! 目がっ!』

 どうやら箒の先が目に入ったらしい。
思わず鶏のような声を漏らしていたな。馬鹿鳥め。
ぱさぱさと力なく羽を床に叩きつけて地面を這う鳥類は、実にみじめだ。

 私はニヤニヤと笑い、無様な猛禽類を見下ろしてやった。
再び飛び立てないよう、脚を踏みつけておくのも忘れない。
今度はカラスが涙目だ。いい気味だな。私は溜飲を下げた。

 少女は、ミルクティーを飲み終わってこちらを見つめていた。
青くて、澄んだ大きい目。やはり、猫に似ている。
だから、一瞬困惑してしまった。
少女の口から「猫を探してほしい」そんな言葉が出たことに。

 猫なら、私の目の前にいるよ。


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