甘い血 (2)

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 木の枝に刺した芋が程よく焼けて、美味しそうな匂いがあたりに漂いだした。お腹がぐうと鳴るが、朝に林檎を食べただけで正午までずっと訓練漬けだったんだから、これはしょうがない。
 それは三人の妹達も同じで、焼き上がるのが待ちきれずに集まってきていた。
「一本焼きあがったよ。ほら、ミルナのぶん」
私がそう言って振り返ると、私達の中では一番若いミルナが枝を受け取って、にこにこと微笑んだ。五歳位の時に森に捨てられたのを姉様が助けて、そして私達家族の一員になった。それからもう三年になるけれど、この子は一度も喋ったことが無い。
「熱いから気をつけるんだよ」
ミルナが頷いて、肩のところで切りそろえた蜂蜜色の髪が揺れる。
「オリアナ姉ちゃん、あたしの分はまだー?」
そう言ったのは真ん中の妹のターラ。八歳の時に捨てられて、それからもう五年になる。綺麗な白金の髪をしているのだけど、体を動かす邪魔になるからと言って髪はいつも短く切っている。
「すぐできるんだから、ちょっとは静かにして待てないの?」
そう言ってターラをたしなめたのが一番上の妹のダシア。妹とは言っても多分年は私とほぼ同じで、私の方が先に姉様に拾われたからダシアが妹ということになっているだけだ。私が森に捨てられて姉様に助けられたのは五歳位のときで、それからもうじき十年になる。ダシアはターラと同じ年に捨てられて、彼女はそのとき十歳だった。自由奔放なターラにダシアはいつも口うるさく言っているけれど、それだけ相手のことを大事に思っているんだというのを皆分かっている。
「そうは言ってもさー、朝から訓練しっぱなしでお腹空いたんだもん」
ぶーぶーと文句を言っていたターラも、芋の串を渡してやると嬉々として食卓に走っていった。それから残り三本が焼きあがると、私とダシアも食卓に向かう。

 食卓は私が拾われたときからずっと小屋の前の広場に置いてあって、百年前に作られたと言われても信じてしまうほどに古い、真っ黒な木でできている。もう既に妹達も姉様も席についていて、私とダシアを待っていた。私オリアナに、ダシア、ターラ、ミルナの三人の妹達、そしてキアラ姉様……この五人が、森の中のこの小さな世界の全てだ。
 姉様の綺麗な髪は、誰も見たことがないような真っ黒な色をしている。姉様の漆黒の髪、姉様の漆黒の長衣、そして真っ黒な食卓。木漏れ日の射す森の中にあって、ここだけが闇の中に沈んでしまったようだった。けれど、私はこの闇が好きだ。可愛い妹達とこの黒い食卓を囲むのが。正面の席で、姉様の漆黒の髪と漆黒の瞳を見つめるのが。
 姉様は外の世界では森の魔女と呼ばれているらしい。子供を攫って食べる恐ろしい魔女だということになっているけれど、勿論そんなことはない。姉様はとても優しい。不思議な力を持って生まれてきて、そしてその力を暴発させて森に捨てられた子供達。そんな子供達を拾って育てて、もう二度と力が暴発することがないように十年間の訓練を施して、外の世界にこっそりと送り返しているのだ。私も、もう三人の姉達が外の世界に巣立っていくのを見送ってきた。
 いつも姉様は冷静で、感情を外に出さない。でも、私が力を暴走させて寝込んだときには、徹夜で看病してくれる。悪夢でうなされたときには、ずっと傍にいてくれる。本当の誕生日を知らない私に姉様がくれた新しい誕生日、姉様が私を拾ってくれたその記念日には、滅多に見せない笑顔を私に向けてくれる。姉様が魔女であっても、人では有り得ないほどに長い、長いあいだ生きてきたとしても、それでも私は姉様が好きだ。世界で一番優しい、姉様が。

「でも、今日のオリアナ姉ちゃんは凄かったなー。朝から昼までずーっと、滝の水をピタリって止めちゃうんだもんなー」
 ターラの言葉に、ミルナが尊敬で一杯になった表情で頷く。
「もう外の世界でも心配はありませんわ、オリアナ姉様。あと、ひと月ですよね」
 ダシアの言葉を継いで、キアラ姉様が続ける。
「ええ。オリアナ、あとひと月であなたは旅立ちの日を迎えるわ」
 キアラ姉様の瞳が私を射抜く。
「あとひと月で、あなたがここに来てから十年になる。そのあいだ、あなたに力を制御するすべを教えてきた。あなたの力が暴発する危険は、もう無い。外の世界の知識も、言葉も、全て教えた。もうすぐ、この狭い世界を出て、あなたが本来居るべき場所に戻ることができる」
 姉様の言葉には私を大切に思う気持ちが溢れている。でも、私が姉様を想うほどに、姉様は私のことを想っていてくれているのだろうか。それとも、何十年、いや、何百年の間に巣立っていった、何百人の生徒のうちの一人に過ぎないのだろうか。
「オリアナ姉さんが羨ましいわ」
「あたしとターラはあと五年もあるもんなー。でも、あたしはまだ全然だし、姉ちゃんを見習って頑張らないとな。あたしの生まれ故郷のそばにさ、大きな花畑があったんだ。春になると一面真っ白でさ、すっごい綺麗でさ。懐かしいな……」
「私は故郷には未練はないわ。でも、外の世界に戻ったら色々な場所を旅してみたいの。キアラ姉様の物語に出てきた場所を巡ってみたいわ」
 まだ何年も先の話だというのに、妹達の顔は希望で輝いている。夢があるから。外の世界に戻って果たしたい夢が。
「オリアナ姉ちゃんは、外の世界に戻ったら一番最初に何をしたい?」
 ターラの言葉が痛い。私には外の世界で果たすべき夢が無い。夢はあるけど、それは外の世界では果たせない。外の世界には、姉様はいない。
「私は……。ごめん、ちょっと食べすぎちゃったみたい。少し歩いてくるわ」
 三人の妹達の視線に耐え切れなくなった私は、その場から逃げ出してしまった。


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