腐葉土の姫 (7)

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 ハリスの日常は単調なものになった。起きて、礼拝をして、村をまわって、夜は姫と交わった(ハリスは自分の心の中でだけ、「それ」を「姫」と呼ぶことにした)。
 姫との交わりは、率直に言えば苦痛であった。初めての夜は、意識を回復してから嗚咽が止まらなかった。強く残る土の匂いに頭がやられそうで、部屋の外に出て嘔吐した。今でも、不快であることには変わりはない。ハリスはこれを、ジーラが悪魔と対峙したという聖典の一節と重ねていた。つまり、聖者に課せられた試練であると。さらには、姫のあの深淵が自分を霊的な高みへと導いてくれるのではないか、という期待すらも抱いていた。
 姫との逢瀬には、わずかずつ変化が現れてきた。モザイク状の姫の姿が時折、ほんの一瞬だけ、一つの形を為すようになった。明かりのない夜のこと、細部まで見れたわけではない。だが、ハリスはその姿に例えようもないいらだちを感じていた。
 ハリスは、自室に燭台を持ち込んだ。試したことはないが、明かりをつけていれば姫は来ないのではないか、いや、明かりの方が消されてしまうか。姫が来てしまえば、ハリスの体は痺れたように動かなくなる。明かりをつける機会などない。だが、あるいは……。

 ある夜、性交の最中にハリスは聖歌を口ずさんだ。風のない、穏やかな晩であった。特に意図があったわけではない。ただ、動かせるのが口だけだったから、というだけだ。
 一節を歌うと、変化は起きた。姫が、ハリスの真似をするように声を出した。
「######」
 最初は途切れ途切れで、音程も合っていなかったが、繰り返すうちに次第に歌に近づいてきた。さらには、姫の姿が人の形を取り始める。ハリスは驚愕に目を見張った。歌に合わせて人の形が作られては崩れ、崩れては作られる。
「顔を見せてくれ……顔を……」
 思わず声に出して懇願する。
 聖歌が続く中、月明かりの下に現れたのは、ジーラの顔だった。
 聖歌を歌い終えたジーラの顔は、笑うように口元を曲げた。
 ハリスの思考は赤く塗りつぶされた。これは怒りか、絶望か、ただ感じるのは心の起伏が無くなる感覚であった。手を伸ばし、燭台を掴むとジーラの顔に叩きつけた。
「##########」
 それは自分の声であったか、ジーラの悲鳴か。物が割れる音もする、何かを打ちつける音もする。だが何も感じない。体は機械のように動き続けた。自分でも驚いてしまっている。血のような黒い液体が流れている。朝になって見ればきっと赤いのだろう。
 息が上がり、腕が下りた。燭台はまだ握ったままだ。肘から先の感覚がない。
 モザイク状の影が、音を立てながら走って去った。視界の端に映ったそれは、あるいは風に揺れたカーテンの見間違いだったのかもしれない。

 ハリスは神官の職を捨てた。王都に戻った、とも言われている。

   


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