無限螺旋 - 記憶の階段(2)

前のページ/ 次のページ
 森が、いよいよ深くなる。
 まだ昼間のはずなのに、背の高い木々に、隙間なく広がる枝葉に、陽を遮られて地面は薄暗い。そして、不思議なことに――いや、魔女の棲み処としては当然なのか――次第に生き物の気配が希薄になってくる。右も左も褐色の柱に囲まれているが、動物の息遣いは感じられない。日差しが少なすぎるのか、下草も生えていない。木の幹はあまりに硬質な樹皮に覆われ、それが植物であるということを忘れさせる。
 根をまたぎ、枝をくぐってさらに奥へと分け入る。あの女占い師(カルラとか言ったか……)に押し付けられた剣の鞘がカチャカチャと耳障りな音を立てる。その重みを感じながらやつの嫌らしい笑みをつい思い出してしまう。監視役のくせに、今頃は森の外でのんびりと俺が戻ってくるのを待っているのだろう。そう考えると、こんな剣など捨ててやろうかという気持ちになってくる。
 細剣の鞘をつかみ、待てよ、と思い直す。
 ここでこの剣を放り出したら、あの女は悔しがるだろうか? いや、今までのあいつの振る舞いを見る限り、そうはなるまい。きっと

「あんた、剣のひとつも持ち歩けないほど体力ないわけぇ?」

 とか何とか言われそうだ。それにこの剣はあの女の持ち物じゃないはず。剣をなくして領主に怒られるのはこの俺だ。

「……くそ、面白くないが……この剣は持ってってやる」

 そう独りごちて、俺は剣を捨てるのをやめた。
 そうだ、この剣を使わずに魔女を倒せばいいんだ。そして「こんなもの何の役にも立たなかった、無駄骨だったな」とか言ってつき返してやる。占い師め、ざまぁみろだ。

 きっと緊張のせいで神経がイラついているんだろう。そう思い、俺は手ごろな木の根に腰を下ろして少しだけ休むことにする。身体を休めるというより心を落ち着けるために。荷物から革の水筒を取り出して、水を一口含む。
 あの女はこの剣をお守りとか何とか言っていたが、そんなものは初めから必要なかったんだ。俺には兄が残してくれた魔よけの短剣がある。森から生還したその日から、俺は肌身離さずそれを身に付けていた。少しでも兄の存在を感じられるように。魔女の呪いを打ち払って早く記憶が蘇るように。
 だが今日まで、記憶は戻っていない。
 結局、魔女を打ち倒すより他はないと結論を下したとき、家族や友人は危険だといって皆反対したが――兄の短剣だけは俺に力を与えてくれるような気がした。
 きっと、兄はまだ生きている。そして、この短剣を通じて俺に助けを求めている。俺は、魔女との決着を付けなければならない。兄を救い出すために……そして、「兄を置き去りにした」という外しがたい枷から自らを解き放つために。

 懐に収めた短剣が、少しだけ疼いた気がした。

前のページ/ 次のページ inserted by FC2 system