腐葉土の姫 (1)

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「やはり、いるのか……」
 近づいてきた森を見て、ハリスは思わず口に出した。
 ここはジンジャー王国の東部、デニダ領のアケイス村へと向かう道中。ハリスはアケイス村で神官を務めるため、王都からやってきた。丸四日かけての旅で、そろそろ東部の風景も見飽きてきたところであったが、アケイス村に隣接するあの森は、これまでに見た森とは明らかに別物である。
 教会の権威の及ばぬ辺境の村への赴任である。何のトラブルもなく事が運ぶとはさすがに思っていなかったものの、ここまでの難物だとは思ってもみなかった。
 下っ端とはいえ、ハリスも神官の端くれである。物の怪の類、闇に潜む何者か、邪教の「神」など、神に仇なすものの気配を感じることはできる。このアケイス村も、まだ王国に編入されて二十年ほどしか経っていない村とあって、土着の「神」の影響は根強いかもしれないな、程度には考えていたが、実際に来てみれば、今まで感じたこともない程の強い気配が森から溢れ返らんばかりである。
 「これでは前任者もたまったものではなかったろう」
 前任者が、どの程度の霊感の持ち主であったかは知る由もないが、その前任者が失踪したため、急遽派遣されたのがハリスである。
 この異常な森が村民の信仰対象となっていることはほぼ確実だろう。他の集落との交流もない、このような異教の地にあって、ハリスら神官は誰の助けもなく布教に勤めなければならないわけだ。前任者の失踪の原因は何であったか……考えるまでもない、異分子は排斥されるものだ。上手くやらねば、自分も同じ末路を辿ることになるだろう。
 程なくして馬車は村に入った。村の中はどうということのない、よくある農村である。教会と思しき建物も見つかった、が、森に随分と近い。ほとんど村の外れである。ハリスの気持ちは落ち込んでゆく……。
「お待ちしていました。ハリスさん」
 村長宅に寄ると、出てきたのはいかにも村の顔役、といった体の男である。
「長旅ご苦労様です。私は村長のカシオス・ヘンダイアです」
「どうも。ハリス・インテリオスです。ジーラ教会から派遣されて参りました。この度は前任のバクス・ローラティアが行方知れずとのことで……」
「ええ、ええ。バクスさんのことは残念なことでした。我々も全力で探したのですが。ただ今は、生きていてくださることをお祈りするだけです」
「神の加護のあらんことを」
祈りの仕草をするハリスを、カシオスは笑顔を崩さず見守っている。
 一通り挨拶が終わったところで、村長自らの案内で教会へと向かった。先ほど見たとおりの村の外れである。教会の建物は煉瓦造りで、ハリスの予想に反してきちんと作られている。ただ、手入れが行き届いていないことは明らかであり、空き家然とした印象を受ける。「主がいないのは、確かにその通りか・・・」我ながらつまらないことを考えるものだ、とハリスは自笑した。

 「それら」は物心ついたころからハリスの視界にあった。王都の闇に潜むもの。自分以外には見えないもの。
 不幸なことに、「それら」は思春期にさしかかった頃になってもハリスの眼前からは消えてくれなかった。ハリスの心は歪んだ。ハリスにとってジーラ教は嘘っぱちだった。聖典を燃やし、教会に石を投げた。
 そんなハリスを救ったのが、神官ヨートスだった。
 「「それら」は、神でも悪魔でもない。君や、私には見えて、他の人には見えない、「ただそれだけ」のものだ。そこには神の救いも、悪魔の嘘もない。ハリス、聖典を読みなさい、そして自分の心と向き合いなさい」
 ヨートスとの出会いが、ハリスに信仰への道を開かせた。ハリスはヨートスのもとで、神官になる道を選んだ。


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