無限螺旋 - 巡る世界(4)

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「冥土の土産に、ひとつ種明かしをしてやろう。
 かつてこの森に仲のいい兄弟が迷い込んだ。魔女が彼らを気に入り、森に誘い込んだのだ。かくして、兄は傷を負い、弟を魔女の手から守りきれなくなった。兄は弟だけは助けてほしいと魔女に請い、優しき魔女はある条件と引き換えにそれを受け入れた。
 ……条件とは、魔女の眷属となることだった」

 すべてが流れて空白となった心に、兄の声が響いてくる。その声に、何の感情も込められてはいなかった。

「兄は、弟を救うために、魂の底から魔女に屈服した。彼なら、その強靭な精神力で意識を保つこともできただろう。だがそれでは、条件を果たしたことにはならない。契約の破棄と取られ、魔女が弟に危害を加えるかもしれない……だから、あえて抵抗せず、完全に魔女の配下となったのだ。
 今の俺に、お前の兄であるイシキはない」

 周囲を乱舞していた光が、再び動きを見せた。恐れおののくように、崇め奉るように。光の粒子が場所を空け、そこに揺らめく人影が現れる。俺は、それを気配だけで知る。

「……そして弟も、魔女に契約を申し出たのだ。自らが傷つけてしまった兄の命を救ってほしいと。その代わりに自分の心を差し出すと。優しき魔女はこれも受け入れ、弟から兄の記憶を貰い受ける代わりに兄の傷を癒した。
 兄も、弟も。魔女に願いを託し、正当な対価の元にそれは成就された。願い叶った者は幸福である。そうだろう? 人の世では、そうなのだろう? クビン」

 それはいつのまにか、兄の声ではなくなっていた。耳障りな、甲高い女の声。
 ――魔女。

「妾はそなたら二人の願いを叶えた。弟に手を出すなと言うから、森の入り口まで送ってやった。兄を助けてくれと言うから傷を癒してやった。魂を捧げるとか記憶を差し出すとかも、そなたらが自ら言い寄こしたことだ。……なァ?
 アービンよ、妾は確かに契約を守った。弟に手は出さぬ。弟を殺めるのはそなた自身よ……くっくくくくくくくく」

 魔女が、こちらに向き直る。少しだけ視線を上げ――その姿を視界の端に捉えた。黒いドレスの足元は、地面から影だけが立ち上がったかのようで、まるで立体感がない。

「あとひとつ教えておこう。そなたが後生大事に抱えていたアレ。アレは兄の形見なぞではない。アービンが持っていた物に似せて作った呪いの法具よ。そなたに記憶が蘇らぬようにすると同時に、せめてもの『情け』として、兄の存在をいつでも感じられるようにな。完全に兄のことを気にかけなくなってしまっては、記憶を奪っても面白くもなんともない。
 もしそなたがもっと兄を軽んじていれば、あの短剣を失くしたり壊したりしていれば、呪いはすぐに解けたであろうに。そなたらの兄弟愛は事の外強かった。お陰で斯様に強い呪いを組み上げられたわ」

 神経を逆なでするように、魔女は鼻で笑った。
 こいつは……こいつにとっては、これは戯れなのだ。俺を殺すのが目的じゃない……心を踏みにじって、痛みに呻く声が聞きたいだけなのだ……。そのためなら、俺の傷を癒しさえするだろう。……永遠に魂の牢獄につないで、飽きるまで慰み物にするために。

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